池田の地名
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池田は全国に40以上ある
池田の地名は、北海道から沖縄県まで、全国各地にあります。
池田という名称の市町が5、池田という名称の地区がある市町村が39、合計44です。
ちなみに、全国に多い地名は、次のとおりです。
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地名の由来を考える
日本の地名の多くは、地形や人名に由来しています。
地形に由来している場合、池田は、池の近くに田んぼがある場所ということになります。
ありふれた光景ですが、近くの池はどれを指すのでしょう?
古くから存在する神社にヒントがないかと思い、池田神社について調べてみました。
池田神社の境内案内板には、「境内に池があって…その池は清水湧く今日の釣堀池即ち聖一色の峯田池であろう」と記載されています。峯田池は現在の西峯田緑地です。
峯田池から水を引いた田んぼのある場所であることから「池田」とされたのかもしれません。
人名に由来している場合、池田は池田さんにちなんで付けられたことになります。
この場合、池田さんは誰でしょう?
池田神社については、「盧原(いおはら=現在の庵原)国造(くにのみやっこ=現在の知事?)の意加部彦命(おかべひこのみこと)の子孫である池田坂井君(いけだのさかないのきみ)が神祖を奉斎した」とする説があります。
この池田坂井君が神社の名称や地名の由来かもしれません。
池田は、峯田池の近くの田んぼの意味か、単に近くに池がある田んぼの意味か、池田坂井君にちなんで付けられたのか、それとも全く別の理由によるのか実に興味深いところです。
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池田は1500年以上の歴史ある地名かも?
池田神社の境内案内板には、「創立年代は不詳であるが総国風土記に「池田神社所
祭事代主神也、大泊瀬若鷦鷯天皇(二十五代武烈天皇)己卯(注)6月祈雨祭之」とある。
今より一五〇〇年前のことである」と記載されており、これによれば少なくとも1500年以上前から当地に池田神社があったということができます。
(注) 武烈天皇が在位したとされる8年間の初年が「己卯」(つちのと・う=西暦499年)です。
池田神社の名称が地名に由来するものであるとすれば、1500年以上前から当地は池田と呼ばれていたことになります。歴史長いですね。
次に、池田の地理、特に地域を流れる川に着目して調べてみました。
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池田は山紫水明の地
池田の北側には竜爪山(庵原山地)があり、西側には有度山(日本平)があります。
ざっくりいいますと、池田は、庵原山地の南方、日本平の西麓にある平野部です。
池田の北側には、庵原山地と日本平の間を東西に流れる巴川があります。
池田の西側、小鹿との境には巴川から太平洋に流れる大谷川放水路があります。
池田の東側、聖一色との境には日本平から大谷川放水路に流れる大慈悲院川があります。
なお、大慈悲院川のほとりには、池田の地名の由来かもと紹介した峯田池がありました。
池田は、山と川に囲まれた山紫水明の地といえるでしょう。
ところで、静岡の代表的河川といえば安倍川です。池田は安倍川と無関係でしょうか。
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安東と安西の不思議
浅間神社の近くに安東や安西という地名があります。
ざっくり言うと安東は浅間神社のある賎機山の東、安西はその西です。
これらの地名は「安」の東と西を表すと考えるのが自然でしょう。
この辺で「安」が付くものと言えば…安倍川です。
では、安東は安倍川の東、安西は安倍川の西ということでしょうか。
あれ、両地区とも安倍川の東ですね。
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安倍川は昔は巴川だった?
数百年前まで、安倍川は浅間神社の南で向きを変え、東に流れていたと言われています。
この当時の東に流れる安倍川(の一部)の東が安東、西が安西というわけです。
その後、徳川家康が東への流れを遮断し、藁科川と合流させたと言われています。
なお、これが通説ですが、昔から藁科川と合流していたとする有力な反対説もあります。
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池田は安倍川の賜物
いずれの説によっても、安倍川の水が池田近辺を流れていたことは確かでしょう。
つまり、安倍川の運ぶ水と土壌、それに日本平から流れる大慈悲院川の水と土壌が加わって、池田が水田耕作に適した肥沃な土地になったのではないかと考えられます。
(参考文献) 巴川水系河川整備計画(平成22年3月 静岡県 静岡市)ほか